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薩長土連合密議之処

右に 薩州 田上藤七、長州 久坂玄瑞、土州 坂本龍馬の名前が刻まれている。岸信介書。

 坂本龍馬が萩を訪れたのは文久2年(1862)1月14日のことである。吉田松陰亡き後、攘夷派のリーダーとして長州志士たちの中心的存在であった久坂玄瑞のもとへ、武市半平太の書を携えてやってきたのだ。ちょうどその頃、華山三円の書を持った薩摩藩士・田上藤七も萩に滞在していて、図らずもこのとき 薩摩・長州・土佐の三藩の志士が一堂に会することになった。

 このことを記念して建てられたのが薩長土連合密議之処の石碑。今は松陰神社の境内だが、当時は街道沿いの鈴木勘蔵の旅館があった場所で、龍馬はここに1泊している。

 9日ほど萩に滞在した後、龍馬は武市宛の久坂の手紙を持って戻るが、興味深いことにそのわずか2ヶ月後に脱藩している。このことから、“日本を変革するのは在野の自分たち、その為には藩が滅亡しても構わない”という久坂の決意に触れたことが、脱藩のきっかけになったのでは?と言われている。

龍馬の来萩については久坂の日記『江月斎日乗』に書いてあるのだが、他には翌日に『他国文武修行者宿』に移ったことや藁束を斬ったことなどぐらいで、大したことは書いてないようだ。当時はまだ坂本龍馬はそこまで重要人物ではなかったんだろうが、もうちょっと詳しく書き残してくれたら面白かっただろう。久坂自身ももっと取り上げられただろうに・・・とちょっと残念。
 松陰神社の隅っこの、写真を撮ろうとするとどーしても背景に物置的なものが入ってしまうという不遇な場所にあるせいか、以前は地元民にこの石碑の話をしても「え?そんなのあったっけ?」という反応がほとんどだった。龍馬が萩に来たことがあるということ自体、最近まで知っている人はあまりいなかったんだよなぁ。

■薩長土連合密議之処の石碑
所在地 : 萩市椿東1537 (萩市松本市) 松陰神社内
アクセス : 萩循環まぁーるバス 東回り“松陰先生”にて「松陰神社前」下車、徒歩1分

34.412269,131.416016
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