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大河ドラマ「花燃ゆ」 第一回市民講座③

②のつづき

【P2】安政元年(1854)12月3日 野山獄中の吉田松陰が妹千代に送った手紙(『吉田松陰全集』より抜粋)。

妹が読めるように易しい言葉で書いてある(久坂宛の手紙などは滅茶苦茶難しいらしい)。 『届いた手紙と差し入れに涙が止まらない』『正月もつまらぬ遊びごとをするより、よい本でも読んでもらいなさい』『あなたを思って筆を執ったところ、その夜にあなたからの手紙が届き、まごころが通じたのだと心強く思う』『(子を持つ千代に対し)特に幼い頃は母親の教えの影響が大きいのだからおろそかにしてはならないよ』『わたしが書いたものを読みよいように書いてもらって妹たちにもみせるよう頼みますよ』…てなことが延々と綴られている。

抜粋はA4一枚だが、実物は5倍くらいあるらしい(長っ!)。妹からの手紙を読んで寝られないくらい泣きまくってる(このとき私の脳裏には「おーい!龍馬」の号泣松陰先生が…)くせに、同時にくどくどと説教じみたことも書いているところが何とも可笑しいというか微笑ましいというか、松陰の兄としての接し方が伺えておもしろい。そして、兄妹間の愛情をひしひしと感じる手紙だ。

 

【P3】写真資料/久坂玄瑞肖像画、楫取美和子(杉子)写真、楫取素彦・美和子ほか集合写真、楫取素彦肖像画

の写真は2枚しか残っていないらしい。1枚は晩年、黒留袖に勲章を付けた姿。もう1枚は楫取素彦が御養育主任を務めた皇女貞宮が亡くなった後、素彦や貞宮のお付きなどと一緒に貞宮御殿の庭で撮った集合写真。明治32年(1899)2月17日撮影。いずれも杉家寄贈、萩博物館所蔵。

 

このように資料の少ない文なのに、ひとつだけ、長州の幕末にちょっと詳しい人なら多くの人が知っている(?)有名かつ残念な話がある。久坂玄瑞が文との結婚を勧められたとき「不器量だからイヤだ」と断ったという話である。書きながら何とも心苦しいのだが、文の話題になると避けては通れない道…

唯一知られてるエピソードがそれかよ!と言いたくなるあまりにも気の毒すぎる話だが、少なくとも玄瑞がそんなことをいって断ったというのは事実らしい。さらにはそれを中谷正亮が「男子たるものが容色で妻を選ぶとは何事だ!」(←完全に認めてるし;)と諫めたというので、単純に好みの問題というわけでもないようで…(重ねてお詫び申し上げます・汗) いや、晩年の写真を見る限りそんなこともないですけどね、とかフォローしておこう(汗汗)。

けっこう知られた話だけに、ドラマでは触れずにおくのか気になるところではあるが、まぁ文役が真央ちゃんって時点でブサ○ク説は成り立たないからこの話はスルーかな。ネット上でも「井上真央じゃ容姿が違うだろ!」的な突っ込みを見かけたが、そりゃあんた、龍馬だって福山雅治、八重だって綾瀬はるかなんですから。

そんなこんなで、玄瑞には不名誉な逸話を残され(まぁこれは本人知らないだろうけど)、結婚したもののすぐに江戸へ行かれ、あまり一緒にも過ごせないまま未亡人、挙げ句に知らない間に別の女と子供をつくられていた。自分が嫁ならいくらイケメンったって玄瑞のことを嫌いになりそうだが、は死ぬまで玄瑞からの手紙を大切にしていたというから、彼女の中には長い年月忘れられないほど、彼に対する深い思いがあったのだろう。(楫取の方が絶対夫として良さそうだけど)

 

以上、覚えている講義内容に個人的な感想を交えて書いております。(読んでりゃ分かるでしょうが念のため)

 

大河ドラマ「花燃ゆ」関連の市民講座は、今後も久坂玄瑞、楫取素彦をテーマにした回などが開かれる予定とのこと。また3月頃には楫取に関する新しい本も刊行されるとのこと。第二回市民講座も早めに申し込まねば。

 

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