ヤバい、ちょっと日にちが経って記憶があやふやになってきた(焦)。話が前後してたら(多分している)すみません。
3日目・7日(木)、この日小浜でロケ(この日「オバマ」と読んでいる人に出くわしたが、「コハマ」です)だということは撮影地のご近所に配られた“撮影協力のお願い”で或る程度分かっていた。小浜は萩城跡のある指月山のふもと・日本海に面したところで、江戸時代に城に船で出入りしていたという“潮入門(しおいりもん)”から菊ヶ浜にかけての一帯。かつてはキャンプ場だったところでもある(2006年に閉鎖)。
さてこの日菊ヶ浜へ向かいながら城跡・指月山の方を見てみると、小浜にたくさんの幟や旗が立っている。指月山は萩人が愛して已まない山だが、日頃は“城郭”だった意識は薄い。しかし今、夏の青々と茂る山に真っ白な銃眼土塀、そこに紅白の幟や幕が翻っている姿に(当時このような風景はなかっただろうが)、確かに城郭であった江戸時代の指月山を感じることができた。
【以下、ネタバレを含みますのでご注意ください】
・この日はほぼ1日小浜で撮影
・吉田松陰が砲術訓練を指揮している場面
・撮影用に的船といかだを海上に浮かべる
・レプリカの大砲による空砲や海上で水柱が上がるといった火薬仕掛けを行う
・ラジコンヘリでの撮影も予定
というようなこと、それに伴って規制・誘導や火薬仕掛けの実施の際に音が出ることなどへの理解と協力のお願いが書いてある(口外しないようにという記載は特になかったので掲載させていただいた)。後で聞いたところによると、一応火薬を使うということで、消防車も待機しての撮影だったようだ。(火事になりそうな量には見えなかったが…)
菊ヶ浜からロケの様子を眺めていたが、なんとも遠い…。けっこう遠くまで映り込む可能性があるとかで砂浜の中程から進入禁止のコーンがおいてあり、あまり近寄れない。沖に浮かべてある的船は確認できたが、エキストラの町民たちが寄ったり離れたり、侍が大砲側へスタンバイしたりと人の動きが見えるくらい。音も聞こえずどのタイミングで本番に入ったのかもわからないまま眺めていると、突然大砲が鳴った。あ、このタイミングで大砲か。なんかもうちょっと心構えしてから見たかったな…
さらに、ずっと眺めているわけにもいかないのでそろそろ帰ろうと戻り始めた瞬間、『ボシュッ!』。…ここで水柱。空砲に続きイマイチなタイミングで見てしまい、写真も撮れず、何だか残念なような、一応見れたので良かったような…。(ラジコンヘリの件はすっかり忘れていて、いたのかいなかったのか確認せずじまい。)
この日は訓練を指揮する吉田松陰とそれを見守る毛利敬親公、後で知ったところによると野次馬の中に晋作少年と父、またビビる大木さん(まだ宮部ではない)も取材で参加されたとのことだったが、遠すぎて残念ながら姿は確認できず。
このシーンはもちろん史実ではないが、松陰のお殿様の前での御前講義や、敬親公が松陰に目を掛けていたこと、アヘン戦争の情報に危機感を頂いた長州藩が天保14年に行った大軍事演習(実際は郊外の台地で行われた)などの史実をワンシーンで表現したものだろう。
そしてこの翌日から続く雨に萩ロケは難航するのであった…