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花燃ゆ 第1話「人むすぶ妹」~萩のロケ地・実物はココ!

201514日、いよいよ放送が始まったNHK大河ドラマ「花燃ゆ」。
ここでは第1話「人むすぶ妹」で登場した場所の現在の姿と萩ロケの撮影ポイントをご紹介します。

※年齢は数えで書いているつもりですが多少間違っているかも知れません。その他いろいろ不明なところもありますが参考程度にご覧下さい…

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【松下村塾】
冒頭で塾生が秀吉とナポレオンについて論じていたシーンで登場。左の写真は松陰神社境内にある現在の松下村塾で、当時そのままの場所に実物が残っている。ドラマのあと改めて見ると塾生で活気づいていた頃が思い描きやすくて楽しい。

冒頭のシーンは控えの間を増築した安政5(1858)3月頃かと思ったが、入江九一がいたので九一が入門した7月以降、松陰が野山獄に再び投じられる12月まで頃か。

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 【砲術訓練】ロケ地:小浜(菊ヶ浜)
松陰が藩主の御前で行う砲術訓練のシーン。20148月の萩ロケでかなりの時間を割いて撮影された場面。小浜(こはま)は菊ヶ浜海水浴場の萩城寄りの端で、ここから見る日本海には人工的建造物が少ないので江戸時代からほとんど変わらない景色なのではないだろうか。お城や砲弾はもちろんCGだが、ラジコンヘリによる空撮がこう使われたのか!と感心する、迫力あるシーンだった。
松陰の軍事演習と言えば嘉永2(1849)に萩郊外の「羽賀台(はがのだい)」で大々的に行われたことが知られている。この羽賀台の軍事演習や、松陰が藩の「御手当御内用掛(海防掛)」であったこと、また、城下でも優秀な人材として知られていたことなどがこのワンシーンに凝縮して表現されていたと思う。

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 【杉家】
杉家が暮らす家。こちらも松下村塾同様、松陰神社境内に現存していて、井戸や米つき台も残っている。
第1話の時点で一緒に暮らしている家族は父・杉百合之助47歳、母・滝44歳、叔父・玉木文之進41歳、兄・杉梅太郎23歳、梅太郎の嫁・亀18()、兄・吉田寅次郎21歳、姉・杉寿(ひさ)12歳、文8歳、弟・敏三郎6歳。寅次郎と寿の間に長女・千代18歳がいるが、嫁に行っているためかドラマには出てこないようだ。
 

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【伊之助の帰郷】ロケ地:藍場川、平安古鍵曲(ひやこかいまがり)、菊屋横町(きくやよこちょう)

伊之助が義母の危篤の知らせを受け、江戸から急ぎ戻るときに走っているところ。それぞれのロケ地は離れていて実際の帰宅コースとしてはあり得ないが、走る伊之助の背景として萩の象徴的な風景のある場所が選ばれたのだろう。

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また、伊之助が「禁書を持ち込もうとした者がおる」と同僚?から文のことを聞くシーンでも平安古鍵曲が使われている。

 



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なお、この時の小田村の家は城下町の中、高杉晋作の生家がある菊屋横町と、桂小五郎の生家がある江戸屋横町の間、伊勢谷横町にあった。

残念ながら小田村家の建物は全く残っておらず説明板がぽつねんと置いてあるだけだが、場所柄を考えると想像が膨らむ。劇中では、明倫館に書物を納めに来たというやけにイケメンな晋作少年と伊之助が出会うシーンで「高杉小忠太殿のご子息か」と言っているが、ご近所だから顔見知りだったかもしれない。







【藩校明倫館】ロケ地:萩藩校明倫館跡
今回たくさん登場する明倫館は、5代藩主毛利吉元が享保4(1719)に萩城三の丸に創建し、13代敬親によって嘉永2(1849)に城外に移転・拡張された萩の藩校。移転・拡張の際、松陰は敬親の求めによって意見書『明倫館再建に付き気付き書』を提出している。ドラマは嘉永3年からはじまっているので再建後の新明倫館ということになる。
現在の明倫館跡には藩校時代の門や剣道場、石碑、プールなどが現存。ロケに使われたのは正面側の南門。明倫館内部などはセット。

明倫館の敷地は長らく萩市立の小学校として使用されていたが、今年度から小学校は隣接地へ移転し、元体育館の建物が今月111日から花燃ゆ大河ドラマ館となる。旧校舎は松本潤さん主演で話題となった「はじまりの歌」や映画「ほたるの」の舞台ともなった。

ちなみに明倫館は武家の子弟を対象とする学校なので、実際は文のような女の子が易々と出入りすることはできなかったと思う。

毛利敬親の歴史的評価は分かれるところだろうが(個人的にはもちろん名君だと思っている)、この頃としてはあり得ないほど寛容な殿様であったことは間違いないだろう。北大路欣也さん演じる敬親公はさすがに名君オーラ全開、決めゼリフ(?)「そうせい」も包容力のかたまりといった感じだった。1819年生まれの敬親は嘉永3年なら32歳。ちょっと風格ありすぎか?
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【藩校明倫館】ロケ地:萩藩校明倫館跡
今回たくさん登場する明倫館は、5代藩主毛利吉元が享保4(1719)に萩城三の丸に創建し、13代敬親によって嘉永2(1849)に城外に移転・拡張された萩の藩校。移転・拡張の際、松陰は敬親の求めによって意見書『明倫館再建に付き気付き書』を提出している。ドラマは嘉永3年からはじまっているので再建後の新明倫館ということになる。
現在の明倫館跡には藩校時代の門や剣道場、石碑、プールなどが現存。ロケに使われたのは正面側の南門。明倫館内部などはセット。

明倫館の敷地は長らく萩市立の小学校として使用されていたが、今年度から小学校は隣接地へ移転し、元体育館の建物が今月111日から花燃ゆ大河ドラマ館となる。旧校舎は松本潤さん主演で話題となった「はじまりの歌」や映画「ほたるの」の舞台ともなった。

ちなみに明倫館は武家の子弟を対象とする学校なので、実際は文のような女の子が易々と出入りすることはできなかったと思う。

毛利敬親の歴史的評価は分かれるところだろうが(個人的にはもちろん名君だと思っている)、この頃としてはあり得ないほど寛容な殿様であったことは間違いないだろう。北大路欣也さん演じる敬親公はさすがに名君オーラ全開、決めゼリフ(?)「そうせい」も包容力のかたまりといった感じだった。1819年生まれの敬親は嘉永3年なら32歳。ちょっと風格ありすぎか?
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 【藩校明倫館】ロケ地:萩藩校明倫館跡
今回たくさん登場する明倫館は、5代藩主毛利吉元が享保4(1719)に萩城三の丸に創建し、13代敬親によって嘉永2(1849)に城外に移転・拡張された萩の藩校。移転・拡張の際、松陰は敬親の求めによって意見書『明倫館再建に付き気付き書』を提出している。ドラマは嘉永3年からはじまっているので再建後の新明倫館ということになる。
現在の明倫館跡には藩校時代の門や剣道場、石碑、プールなどが現存。ロケに使われたのは正面側の南門。明倫館内部などはセット。

明倫館の敷地は長らく萩市立の小学校として使用されていたが、今年度から小学校は隣接地へ移転し、元体育館の建物が今月111日から花燃ゆ大河ドラマ館となる。旧校舎は松本潤さん主演で話題となった「はじまりの歌」や映画「ほたるの」の舞台ともなった。

ちなみに明倫館は武家の子弟を対象とする学校なので、実際は文のような女の子が易々と出入りすることはできなかったと思う。

毛利敬親の歴史的評価は分かれるところだろうが(個人的にはもちろん名君だと思っている)、この頃としてはあり得ないほど寛容な殿様であったことは間違いないだろう。北大路欣也さん演じる敬親公はさすがに名君オーラ全開、決めゼリフ(?)「そうせい」も包容力のかたまりといった感じだった。1819年生まれの敬親は嘉永3年なら32歳。ちょっと風格ありすぎか?
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【明倫館への路】ロケ地:堀内鍵曲(ほりうちかいまがり)
文が伊之助が落とした本を届けに行くシーンや、松陰との帰り道のシーンなどで登場。
ここは旧萩城三の丸、つまり御城内なので本来は町民などが通行する場所ではないが、これも萩の象徴的な風景のひとつとして使用されているのだろう。

 

【松陰幼少時の回想シーン/玉木家】
天保5(1835)に松陰は5歳で叔父の山鹿流兵学者・吉田大介の養子になり、翌年には大介が亡くなったため吉田家の家督を継ぐ。幼くして兵学者の道が決められていた松陰に玉木文之進が超スパルタ教育を施し、9歳で明倫館教授見習いに、11歳で敬親の前で「武教全書」を講義。これ以降、敬親は松陰に目をかけるようになったようだ。

玉木叔父のスパルタ教育は有名で、今おまえが学んでいるのは『公』のため、その最中に虫を払うという『私』を優先させるとは何事か!と殴り飛ばしたというのも実話。

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【松陰幼少時の回想シーン/目覚める松陰】ロケ地:大照院
大照院は東光寺と並ぶ毛利家の菩提寺で、大照院には萩藩初代と212代の偶数代、東光寺には311代の奇数代藩主の墓があり、いずれも墓前にたくさんの石灯籠が並んでいる。毎年お盆に行われる「万灯会(まんとうえ)」では、これらの石灯籠にろうそくが灯され幻想的。

この墓所(廟所)には大正時代頃まで一般庶民は入れなかったというから、幼い松陰は「大照院」へ逃げたということではなく、幻想的な雰囲気を表現するためにこの場所が選ばれたのだろう。

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【江戸へ向かう寅次郎と伊之助】ロケ地:西の浜
二人の青年が「伊之助!」「寅次郎!」と愉しげに海辺を走ってゆくシーン。これは萩人でもわかりづらかったようだが、萩城跡の奥というか裏というかにある「西の浜」と呼ばれる海岸である。ここも小浜と同じく周囲に邪魔な建造物などがないため撮影にはぴったり。
が、実はこの西の浜には汚水処理場や以前は斎場などがあったため、地元の、特に古い人にとってはあまりイメージの良くない場所でもある。カップルで西の浜に行くと別れる、とかいう何の根拠もいわれもなさそうな噂も聞いたことがあるが、ドラマでのワンシーンはそんなイメージを払拭してくれるような、希望に満ちた若者たちの生き生きとした様子が描かれていた。
 

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 1話の主な舞台・ロケ地はだいたいこんなところ。まだ登場していないロケ地などもあるので、その都度紹介したいと思います。

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